行動に充実感を感じられるか否か──高校入試を振り返って分かった3つの条件
私はこれまで、いわゆる「試験」と呼ばれるものを、大きく分けて4つ経験してきました。
- 高校入試
- 大学入試
- 入社試験(就活)
- 国家資格試験
これらをあらためて振り返ってみると、不思議なことに、
心から「楽しかった」「充実していた」と言えるものと、
正直、あまりそう思えないものがはっきり分かれています。
そして、その差を生んでいるものこそが、
「行動に充実感を感じられるかどうか」のヒントなのではないか。
そう思い、この記事を書くことにしました。
今回はこの中から、
① 高校入試について振り返ってみたいと思います。
謎のテキストとの出会いが、すべての始まり
赤シート対応の“最強テキスト”
中学1年生のある日の定期テスト前。
友人が使っていた、見慣れないテキストが気になりました。
問題文と回答欄だけが淡々と並び、
その回答欄に、友人はオレンジ色のペンで答えを書き込む。
そして赤い下敷きをかぶせると、オレンジの文字だけが消える。
いわゆる、赤シート対応の暗記用テキストです。
自分でもいけるかもしれない、という感覚
しかも驚いたのは、それが
1教科だけではなく、全教科分そろっていたことでした。
小学生の頃は、そろばん教室とテニススクールに通っていた程度で、
特別、勉強が得意だったわけでもない私でも、
「ここまで要点を絞った“最強のテキスト”があるのか」
「これがあれば、こんな自分でも点数取れるんじゃないか」
そんな淡い期待が一気に膨らみました。
塾に入った理由は、わりと不純だった
友人紹介と図書券3000円
そのテキストについて聞いてみると、
友人が通っている塾でもらえるものだということが分かりました。
さらに話を聞くと、
- コピー機が使い放題
- 友人紹介で入塾すると、図書券3,000円がもらえる
という特典付き。
NARUTOに目がくらんだ話
……正直に言うと、
当時どハマりしていた漫画『NARUTO』の購入資金として、
その図書券3,000円に心を掴まれた、という邪な動機もありました。
それでも、
「入らない理由はないな」と思い、親に相談して、塾に入ることになります。
「塾が楽しい」という感覚になれた理由
教え方がうまい先生の存在
結果的に、その選択は大当たりでした。
英語と数学を担当してくれた先生がとにかく分かりやすく、
それでいて人柄も素晴らしい方だったのです。
友人がいる環境の力
加えて、同じ中学校の友人も多く通っていて、
「塾に行けば友達に会える」という感覚もありました。
だから、塾に通うこと自体が、まったく苦ではなかった。
むしろ、楽しみだったのです。
テスト期間のような、
比較的長期間、勉強を詰め込む時期でさえも同じでした。
分かりやすく教えてくれる先生。
一緒に頑張る友人たち。
今振り返ると、
環境に恵まれていたことが、何より大きかったと感じます。
「戦い方」を知ると、結果は変わる
成績が伸び始めたときの感覚
塾に通い始めてから、テストの成績は
まさに水を得た魚のように、ぐんぐん伸びていきました。
そのとき、強く感じたことがあります。
「努力量そのものよりも、戦い方を知っているかどうかで、
こんなにも結果が変わるのか」
「勉強が楽しいかもしれない」と思えた瞬間
成績が伸びていくこと自体が楽しくなり、
次第に、
「塾が好き」
から
「勉強って、案外楽しいかもしれない」
そんなふうに意識が変わっていきました。
目標が定まったとき、加速が始まる
やがて部活動も引退の時期を迎え、
いよいよ高校受験の空気が濃くなってきます。
その頃には、勉強や試験に対する意識は、
塾に入る前とは比べものにならないほど高まっていました。
第一志望校が決まった経緯
「どうせ受けるなら、偏差値が高くて、学校生活が楽しそうなところがいい」
将来のことを深く考えていたわけではなく、
かなり目先の理由で志望校を探していたと思います。
文化祭を見に行ったりしながら、
「ここ、楽しそうだな」と思えた学校。
それが、第一志望校になりました。
目標 × 手段 = 爆発的なモチベーション
根拠のない自信
目標が決まり、
勉強のやり方も分かっている。
この2つがそろった瞬間、
モチベーションは一気に跳ね上がりました。
「受からないわけがない」
今思えば根拠の薄い自信ですが、
その感覚のまま、毎日コツコツ勉強を続けていきました。
勉強量と継続できた理由
中学3年の夏休みは、
塾が開く時間から閉まる時間まで、ほぼ毎日通い詰め。
10時から21時頃まで、
昼食・夕食を除いても、
9時間前後は勉強していたと思います。
でも、その過程は、まったく辛くありませんでした。
むしろ、楽しかった。
毎日、少しずつでも
「未来に近づいている感覚」があったからです。
結果以上に残った「充実していた」という実感
そして迎えた入試本番。
結果は、無事に合格。
もちろん嬉しかったですが、
それ以上に強く残っている感覚があります。
それは、
「あの時間は、本当に充実していた」
という実感です。
行動に充実感を生む3つの条件
ここまで振り返って思うのは、
行動の“動機”なんて、本当は何でもいいのではないか、ということです。
「面白そうだから」
「上を目指したいから」
私の場合は、
- 友達が通っていて楽しそうだったから
- 最強っぽいテキストがもらえそうだったから
- 図書券3,000円がもらえたから
正直、かなり不純です。
でも、それでよかった。
大切なのは、
- エゴでもいい “動機”
- 明確な “目標と手段”
- 過程そのものを “楽しめる状態(環境)”
この3つがそろっていること。
これさえあれば行動できる。これさえあれば充実できる。
人生は、自分で意味づけしていい
せっかくこの世に生を授かったのだから、好きに生きればいいと思うのです。
自分なりに意味を見出して、行動できればそれで充分。
人生とは、きっとそんなものなのだと感じています。
今回は、
経験した4つの試験のうちの一つ、
「高校入試」を振り返りながら、
「行動に充実感を感じられるか否か」について考えてみました。
気が向いたら、
残りの3つの試験についても、
あらためて言葉にしてみようと思います。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。

あなたの行動の動機はなんですか?
エゴでも構わないし、大義があってもいい。ぜひ教えていただけると嬉しいです。
