考え方

読書の醍醐味は「想像の幅」にある|動画・ラジオ・本それぞれの効果と魅力を比較

shohei

あなたは読書が好きですか?
私は好きです。むしろ、人生においてなくてはならない時間のひとつとさえ思っています。

しかしそう思えているのもつい最近、5年前くらいからなんです。
学生の頃は読書はほぼしていない。

読書には無縁だった私が、なぜこんなにも本を読むことに対して心惹かれるのか?

理由はいくつかあると思いますが、私にとっての結論は明確です。

「読書は、想像力を搔き立ててくれるから」

本というものは、ただの活字の羅列に見えるかもしれません。
けれどその行間には、書き手の熱量や背景、そして無限の世界が潜んでいます。

読み手である私たちは、その余白を自由に埋めていく。
そこにこそ、読書の醍醐味があるのだと強く感じています。

今回は、動画やラジオと比較しながら、この「想像の幅」について掘り下げてみたいと思います。

動画の魅力と限界

まずは動画について。
YouTubeをはじめ、映像コンテンツは今や生活の一部になっています。

動画の特徴は、なんといっても 情報量の豊かさ
話し手の表情や仕草、声のトーン、さらには字幕や効果音まで。視覚と聴覚の両方を通して、これでもかというほど情報が流れ込んできます。

これは大きなメリットです。
私たちは、

  • ただぼんやりと眺めているだけで 理解が進む
  • 発信者の想いや熱量をダイレクトに 受け取れる
  • スピード感もあるから、短時間で 多くの情報を吸収できる

けれど、その反面、情報があまりにも整えられすぎているがゆえに、想像の余地は少なくなります。

「どこをどう感じてほしいか」が映像や音で先回りして提示されるため、受け取り手の自由度はどうしても限定されるのです。

もちろん動画には「わかりやすさ」という圧倒的な強みがあります。

ですが、想像力を羽ばたかせる余白という意味では、少し物足りなさを感じることがあります。

動画もラジオも読書も、すべて立派な学びですよね
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ラジオが与える余白

次にラジオ。
私もラジオが好きで、家事や散歩のお供によく聴きます。

動画と比べてビジュアルがない分、声だけで進行していくのがラジオの特徴です。
この「映像がない」ことが、逆に想像の幅を広げてくれる。

話し手の顔を知らなくても、声の雰囲気から性格をイメージしたり、語られている情景を自分なりに描いてみたり。そうした 自由さ が心地よいのです。

さらにラジオは、ながら聴き との相性が抜群

  • 掃除をしながらでも
  • ランニングをしながらでも
  • サイクリングをしながらでも

耳さえ空いていれば楽しめる

生活のリズムに自然に溶け込んでくれる点は、動画にはない魅力です。

ただし、ここでもやはり「声色」や「演出」によって、ある程度は想像の方向性がコントロールされます。

話し手が強調したい部分に合わせて、こちらの受け取り方も誘導されてしまう。

自由度は動画より広いものの、やはり制約は残ります。

本がもつ「究極の余白」

では本はどうでしょうか。

本の場合、基本的に与えられる情報は 文字だけ です。
図や挿絵が加わることはあっても、動画やラジオのように音や映像に彩られることはありません。

だからこそ、読書には「究極の余白」があります。

一文をどう受け止めるかは、すべて 読み手次第

  • スピードをゆっくりにして余韻に浸ることも
  • テンポよく先を急ぐことも
  • 強調したい部分を勝手に太字に変えることも

心の中ではすべて、自由自在です。

例えば「静かな夜」と書かれていたとしましょう。
ある人にとっては虫の声が響く田舎の夜を想像するかもしれないし、また別の人にとっては都会の喧騒が一段落した深夜の街を思い浮かべるかもしれない。

同じ文字列であっても、読み手の経験や感性によって、無数の情景が立ち上がってくる。

これほどまでに想像の幅を与えてくれるメディアは、本以外にないのではないでしょうか。

「紙に書く」ことが読書と同じように想像力を広げることをご存知でしょうか?
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「本はなくならない」理由

ここまで、動画・ラジオ・本を比較してみました。

誤解のないように言っておくと、私はどれも好きです。
動画から学ぶことも多いし、ラジオの親しみやすさも大切にしています。

それでも、本を読む時間だけは少し特別だと思うのです。
理由はやはり、想像力の広がり方にあります。

ITがこれほど進歩し、AIが文章すら生成するようになった今も、紙の本は決してなくならない。

電子書籍の普及でスタイルは変わりつつあるかもしれませんが、「本を読む」という行為そのもの は生き続けている。

それはきっと、

「想像の余白が与えてくれる楽しさ」が、どんな時代にも必要とされるから

人は効率や利便性だけでは生きられません。

むしろ「自分の頭の中で考え、感じ、広げる余地」があるからこそ、人間らしい豊かさを得られるのではないでしょうか。

ITが進んだ今でも本がなくならない理由を考えるなら、こちらの記事も参考になります
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おわりに──想像の幅を楽しもう

改めて考えると、読書という行為はとてもシンプルです。
目の前の文字を追うだけ。

けれどその先には、無限に広がる世界があります。

動画やラジオが便利になった今だからこそ、逆に読書の魅力が際立つ。

「情報を受け取る」のではなく、「情報を自分で組み立てる」楽しみ

これからも私は、本を読み続けるでしょう。
そしてそのたびに、想像の翼を広げていくはずです。

しょうへい
しょうへい

あなたにとっての読書の魅力は何ですか?

もしかしたら、そこにもまた「想像の幅」というキーワードが隠れているかもしれません。

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